──今日はアート分野でライターとして活躍している皆さんにお集まりいただきました。2021年を振り返りたいと思いますが、まずみなさんにとって今年印象的だった展覧会をお聞かせください。
島貫 まず「アートウィーク東京」(11月4〜7日)。僕自身、テキスト執筆や編集で関わっているので公正ではないところもあるんですが、興味深い取り組みと思って挙げました。いわゆるアートフェアや芸術祭とは違い、都内50カ所の美術館やギャラリーをアートバスで巡るプログラムで、作品や展覧会といった「コンテンツ」ではなく「移動」に重きを置いています。東京のギャラリーは都内各地に点在しているので、交通手段としてもめちゃくちゃ便利なのですが、移動が鑑賞や思考の新しい回路が開く仕組みにもなっている。バス内では、高山明、毛利悠子、塩見允枝子、グループ・音楽の作品を視聴することができて、それによって移動の能動性がさらに促されて、知らなかった東京の一面が垣間見えたりします。
シュシ・スライマンの「赤道の伝承」展(10月22日〜11月20日、東京、小山登美夫ギャラリー)は本人の作品もよかったのですが、ラブー・サヨンと呼ばれるマレーシア伝統の水壺のプロジェクトに惹かれました。かつて、同国の女性たちが内職や瞑想的な時間のためにつくっていたという手捻りの水壺とその工芸技術の保全を目的としていて、ギャラリーでは100個以上のラブー・サヨンを買うことができます。その売上げはスライマンらが関わる美術館建設にドネーションされるのですが、コンテンポラリーアートが扱う抽象的な営みと、社会実践の具体性をもった営みが並行しているのが面白い。近年日本でも、アートと、アートに隣接する領域の技術や思考を実際的に交流させる作家(遠藤薫、三枝愛など)が増えていますが、抽象性と具体性をパラレルに展開していく動向は、今後も重要になっていく気がします。
O JUNの「目 対 絵」展(9月3〜26日、京都、VOU / 棒)は、率直に「絵ってよいな!」と思わせられる展覧会でした。1954年公開の『ゴジラ』がモチーフの一つになっていて、ミニチュアの家のマケットが展示されているのですが、その造作を利用したペインティングも合わせて展示されているんです。たぶんハレパネにカッターで切り込みを入れて、パタパタと折り畳めばそのままキャンバスになっちゃうような発想の軽やかさがあって、それは作家が考えてきた「これも絵である/これで絵になる」の思想の実践にもなっています。
最後に「PUNK! The Revolution of Everyday Life」展(12月3〜10日、福岡、art space tetra。そのほか各都市巡回。2022年3月4〜8日エル大阪へ巡回予定)。パンクムーブメントの起点と発展を見せる巡回展で、一般的な「パンク」のイメージを展示の中間に置き、その起点にダダなどの前衛芸術運動、後継として「ライオット・ガール」やトロントのクィア・パンクスの下地を作った「クィアコア」、アフリカ系アメリカ人が自身のアイデンティティを発見するための「アフロ・パンク」、独裁的な政治体制に対するカウンターであると同時にマイノリティの紐帯ともなる「インドネシア・パンク」といった多様な展開を見せる内容です。マジョリティに対する抵抗の見本市のようでもあって、そのDIY的な反抗の精神に単純に元気をもらえるのですが、個々の運動に対しては厳しいバックラッシュがあるし、インドネシアの政治情勢なんかは、希望が見い出せないほど厳しい。でも、こういうカウンターの精神みたいなものがある限り、いろんな意味で人間は大丈夫なんじゃないかとも思える。わざわざ福岡に足を運びましたが、本当に見れてよかったと思える展覧会。関連映像が山ほど上映されていて、滞在時間も今年最長でした(笑)。
杉原 音楽ジャンルとしてのパンクっていうよりは、どちらかと言えば思想というか、抵抗のアティテュードとしてのパンク、みたいな広げ方が感じられる展示でしたよね。
白坂 私はまず、「Walls & Bridges 世界にふれる、世界を生きる」展(7月22日~10月9日、東京都美術館)を挙げます。リトアニアから難民キャンプを渡り歩いてニューヨークに亡命し、16ミリカメラで日常を撮影したジョナス・メカスや、特別養護老人ホームに入所してから絵を描き始めた東勝吉さんなど、様々なバックグラウンドを持った5人にフォーカスを当てた展覧会でした。同時期に「イサム・ノグチ 発見の道」展(4月24日〜8月29日、東京都美術館)も担当した学芸員の中原淳行さんが企画したのですが、中原さんの眼差しを通して、「生きるよすがとしてのアート」に情熱を注いだ作家たちが選ばれています。個人的に尊敬している増山たづ子さんが入っていたのも非常に良かった。増山さんはダム建設で沈む前の岐阜県旧徳山村で暮らしながら、「ピッカリコニカ」という使いやすいカメラで村民の様子を10万カットも撮った方です。ダム反対派と、半ば受け入れている派と、工事に来ていた人たちまでも含め、全員を写真に収めていました。
宮城県石巻を舞台にした 「Reborn-Art Festival 2021-22 - 利他と流動性 - 」(8月11日~9月26日、2022年春も開催予定)は、カリフォルニア北部ペトロリアのマトール川と女川でフィールドワークを行い、人と鮭の関係をテーマに離れた土地を繋いだ岩根愛さん、3.11で海に沈んだ車を引き起こすプロジェクトを地域の人たちと行った加藤翼さんが、映像作品自体に力がありましたし、その土地の人たちのポテンシャルを力強く引き出していて印象的でした。それと、牡鹿半島の自然がすごく豊かで。林と海の美しい景色があるなか、道路の復興工事がいまだに続いていて。さらに上のほうに行くと原発が見えてきたりして。アートとともにそういった景色を見ていると、「震災から10年」という時間についてすごく考えました。
「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」(4月17日〜6月20日、東京オペラシティ アートギャラリー)は、ガンダーがコロナ禍で来日できず、予定されていた個展が延期になり、その代わりに寺田小太郎コレクションとオペラシティのコレクションを使って遠隔で作品を選び、「ストーリーはいつも不完全……」「色を想像する」という2つのテーマで展示を行うという展覧会だったのですが、これがいつもの展示とガラリと趣が変わって、作家の属性に囚われずに作品の組み合わせが楽しめましたね。コロナ禍でいろいろハンディはあるけれども、作品への愛情といったもので逆転した展覧会のように思いました。このコロナ禍では、ほかにも世田谷美術館や目黒区美術館などで、コレクションを胆力として生かす試みが見られて、今後に繋がるように思います。
原 千葉、青森と巡回して、高松市美術館で開催された「大・タイガー立石展 変幻世界トラ紀行」(9月18日〜11月3日、2022年1月16日まで埼玉県立近代美術館とうらわ美術館で「大・タイガー立石展 世界を描きつくせ!」展として開催中)が非常に面白かった。90年代後半に亡くなった作家の回顧展です。70年前後を起点とした芸術表現への注目が高まっていますが、まさにその時代を生きていた人。第二次大戦後から日本を含めどこの国でも急速に資本主義が様々なかたちで進んでいくなか、負の部分も含めてビジュアライズしていくという、いまとはまったく違う表現の強さみたいなものがありました。
シンガポール出身のアーティスト、ホー・ツーニェンの一連の展覧会も良かった。最初は山口情報芸術センター[YCAM]で(4月3日〜7月4日)、次に「KYOTO EXPERIMENT」の時期に京都芸術センターで(10月1日〜24日)《ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声》という映像インスタレーションを発表しています。これはかつて非常にもてはやされた「京都学派」に焦点を当て、思想の部分の歴史認識の多面性に関して、日本に侵攻された東南アジアの方の視点を借りて、戦時下の日本をとらえ直す面白さもありました。現在は豊田市美術館で「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」展(10月23日〜2022年1月23日)が開催されていますが、ここでもツーニェンの視点で、今から世界戦争に絡むアジアの歴史というのを、古い映画やアニメーション等を用いたインスタレーションで、見せてくれています。
それから白坂さんも挙げていた「Reborn-Art Festival」から、志賀理江子+栗原裕介+佐藤貴宏+菊池聡太朗〈億年分の今日〉と雨宮庸介さんの作品〈13分〉を挙げたいです。志賀さんたちは2019年のRebornの志賀さんの作品を更新させた形でビオトープをつくるプロジェクトを行っていました。三陸地方が、震災から10年経っても復興の兆しが見えにくい、あるいは課題が山積しているなかで、我々は生態系の循環というシンプルな生き方に立ち返って持続的に生きるということを考えねばならないと痛感しました。雨宮さんの上演作品は、映像よりむしろ音声をメインにしたことでさらに没入感が増し、最後にブラインドが開いて、実際に窓の外に広がる、石巻の海の風景を見せられ、身震いしました。
杉原 個人的に、今年に限らずこの数年は、これまでアートの主なプレイヤーや鑑賞者とされて焦点となっていた存在に対して、その影や背景や土台になっていた存在に光が当てられることが様々なレベルで起きていると感じています。いわば、「図と地」の反転のようなものをいろんな意味で感じるというか。ある人にとって自明だった「アート」をじつは支え、そこに隠されていた誰かがいた。そうしたなかで、個人の感覚ですが、最近は「卓越した賢く強いアーティスト」より、一見弱くても個別的な仕方でアートや表現と向き合っている人の活動に、自然とより意識が向くようになりました。
白坂さんも挙げた「Walls & Bridges」展は、オリンピック関連の都のプログラムで企画されたものですが、国の大きな祝祭を巧く利用して、そんな社会の大きな流れのなかで排除されたり犠牲となった人たちを取り上げていました。増山たづ子はダム建設に翻弄され、ズビニェク・セカルやジョナス・メカスはナチスに弾圧や強制労働を強いられ、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田は夫の彫刻家・保田春彦を支えながら家事育児の合間に制作を行い、東勝吉は老人ホームから表現の世界を拓いた。そうした切実なギリギリの状況を生きる術としてアートをとらえる、その一点で、本来まるで無関係の5名を説得力あるかたちで合わせて見せた、その企画力にも驚きました。
「語りの複数性」展(10月9日〜12月26日、東京都渋谷公園通りギャラリー)は、視覚障害のある方たちをはじめとして、個別の身体を通じた世界への応答を広義の「語り」としてとらえ、その幅広さを見せる展示でしたが、美術の鑑賞で自明視されている視覚中心的なあり方を考えさせられる展示でもありました。たとえば、川内倫子さんの写真の横には凹凸のあるパネルが置かれ、写真を手で「見る」こともできました。また、川内さんの写真を視覚障害者の方たちと鑑賞して、それぞれの「見方」を文章や触れられる綿などで提示したものもあり、自分が見たつもりの「その写真」が揺さぶられる面白さがありました。こうした触覚を通じた鑑賞は、接触を禁じるコロナ禍の文脈もあり、今後、より重要になってくるのではないかと考えています。
他方、そのように従来のアーティストの「特別さ」や「異質性」が相対化されるなかで、古い感覚かもしれませんが、僕には、アーティストという存在にはやはりどこか、外からあるコミュニティを訪れてその場の秩序を揺らす「客人(まれびと)」的な性質があるのではないか、との思いもあります。最後の磯崎隼士の「今生」(こんじょう)展(7月3〜23日、東京、ホワイトハウス)は、言語化は難しいのですが、その思いと響く展示でした。これは24時間オープンの展示だったのですが、僕が訪れたのが夜で、部屋に入ると真っ暗で何も見えなかったんですね。でも、少しするとそこに磯崎さんがいることがわかり、1時間ほど静かな暗闇で話して、結局、作品っぽいものも磯崎さんの顔も見ずに帰りました。後で聞くと、じつは目の前の大きな壁全面に磯崎さんの血液が塗られていたそうですが、その異質な匂いの漂う部屋で、磯崎さんとただ闇に向き合う体験は、強烈に「自分がいまここにいる」という感覚、まさに「今生」の感覚を感じさせるものでした。アーティストの「特別さ」が様々に問われる時代にあって、この展示はとても静かなかたちで僕自身と世界とのつながりを再活性化してくれて、強く印象に残りました。
白坂 「語りの複数性」では、川内倫子さんの作品に、「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」スタッフで、小学校4年生までは弱視で見えていた記憶があり、現在は全盲の中川美枝子さんが参加されていますね。また今年は、生まれつき全盲の白鳥建二さんと美術館めぐりをした川内有緒さんによるノンフィクション『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル、2021年)が話題となりました。以前、中川さんが「目の見える人々の言葉の力を借りるというところで止まらずに、様々な要素を手繰り寄せて自分の中でその作品のイメージが立ち上がったとき、ようやくその作品を経験したと実感する」というようなことをおっしゃっていて。ワークショップに参加していると、実際に見えているものより、結局見えないものを探る感覚になるので楽しいです。鑑賞の概念が変わるという体験が、鑑賞者たちの間で少しずつ広がっていくと良いなと思っています。
杉原 それで言うと、今年は美術館や博物館の「アクセシビリティ」の話をたびたび聞きましたね。従来の「バリアフリー」が、空間的な意味での障壁を無くして美術館をより利用しやすくするための工夫だったとすれば、アクセシビリティは作品鑑賞など、美術館のなかの体験をいかにより多くの人に開いて、共有するのかという視点だと理解しています。たとえば、僕も少し関わっている、アーティストが福祉施設などと交流するアートプロジェクト「TURN」のイベントである「TURNフェス6」(8月17日〜19日、東京都美術館)では、会場のいちばん最初に「アクセシビリティ・カウンター」というコーナーが設置されていて、視覚障害者の方が空間を把握するための触知図があったり、聴覚障害者の方が会場の回り方を教えてくれるコーナーがあったりと、それぞれの身体に合わせた鑑賞の方法を見つけられるようになっていました。
また、「言語」もひとつの障壁となりうるものだと思いますが、先ほどの「Walls & Bridges」展では、近年注目を集め、NHKのウェブ版ニュースなどでも使われている「やさしい日本語」のガイドブックを配布していました。日本人は、海外の方には英語で話せば伝わると考えがちですが、英語が母国語でない人もいるわけで、日本に住む外国の方にはむしろ平易な「やさしい日本語」のほうが伝わりやすいそうです。そういう盲点になりがちの人への配慮があった点でも、同展は印象的でした。こうした障害のある方や外国の方に対する工夫の増加は、オリンピック・パラリンピックと並行していた部分もあると思いますが、今後も続くこと強く期待したいです。
原 兵庫県立美術館は、1989年から年1回ペースで「美術の中のかたち-手で見る造形」展という視覚に障害を持つ人たちのための展示を継続的に開催してきました。手法としては、彫刻作品を手で触れて鑑賞できるというものなんです。しかし、いま、学芸員等が参加する研究会でも今後の展覧会のあり方を検討されているようです。視覚障害を持った人たちのお話しを聞くと、点字を読める方はすべてではなく、一言で視覚障害と言っても、生まれつき全盲の方と、子供の頃は見えていてその記憶が残っているという方ではイメージのとらえ方が異なるそうなんです。今後は企画者側も、専門的な知見や研究をもとにして、これまでとは違った打ち出しかたが必要になってくるのだと思いますね。
島貫 京都の東山を拠点にしているHAPS(東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス)が、SW/AC(ソーシャル・ワーク / アーツ・カンファレンス)という新しい取り組みを始めていますね。「みずのき美術館」のキュレーターである奥山理子氏がディレクターとなり、アートと福祉の関係を理念のレベルに留まらず、実践に持っていこうとしている印象があります。
僕が昨年から運営している自主メディアの『かもべり』で、HAPSのディレクターである遠藤水城氏にインタビューしましたが、そのなかで彼は「社会をよくするために美術をやる」ことを美大生やアート関係者の主要なミッションとしてもよいのではないかと提言しています。本来的にそれは当たり前のことであるはずで、さらにそこからの批評性をともなう飛躍こそが現代美術の役割でもあるはずですが、その前提を共有することにも現実感を持てない状況がいま(まで)の日本だった。福祉やアクセシビリティへの意識が、それを変えていく予兆であればいいと思います。
いっぽう、それを「アート」の名のもとでやる必要があるのか? という疑問も自分のなかにはあります。2021年の6月から僕が拠点にしている別府市や大分は、社会福祉が非常に発達しています。たとえばパラリンピックの父とされる、医師の中村裕さんが立ち上げた「太陽の家」という社会福祉法人では、身体に障害のある方の自立就労の取り組みを長年続けていて、オムロンやホンダなどの有名企業と合同会社をつくり収益を上げるまでになっている。それ以外にも様々な活動・取り組みが生きていて、ダイバーシティや社会包摂の展開が、日常になじむかたちで共生しています。もちろん問題や矛盾は尽きないですが、そういう街で暮らしていると、あえて美術というアイデンティティを保ったまま人や物事に関わっていくことにどれほどの妥当性があるのか?
SDGsや公正性を訴える企画や展覧会がとくに東京では活発な印象ですが、それが一過性のものでしかないという危惧を、おそらく誰もが持っているはず。SNSに顕著な「正しいことを言う」のは容易ですが、美術がそのエクスキューズや免罪符にしかならないとしたら虚しい。もっと実践的なアプローチや実験が美術には必要なはずです。
白坂 いま、医療施設には、治療をするだけでなく、患者さん本人や家族、さらには日々生死に直面している医療従事者の精神的なケアが必要だという考えに基づき、医療施設を文化施設にしようとする動きがあります。先日、アーティスト・イン・レジデンスを始めてまもない医療施設に取材に行って感じたのは、参加してもらうアーティストをどのように選ぶかが非常に重要だということ。先ほど島貫さんがおっしゃったことや杉原さんが挙げていた「まれびと」とつながると思うのですが、一定期間滞在してコミュニティに入り込み、そこで作品やある空気感をつくって、終了後にどこまで責任を負えるのか。あるいは、責任というより、その人が生来持っている力を引き出せることが肝かもしれません。そのあたりのバランスが良い作家を吟味しないと、ただアーティストに派遣先をつくるだけになってしまい、お互いにとってプラスにならないんじゃないかと思うんです。
島貫 その話を聞いて、東日本大震災後の東北を思い出しました。当時、本当にたくさんのアーティストや関係者が被災地に行って表現活動的なことをやっていましたが、現地の人から「現代アートはもういらない」みたいな話を聞くことが頻繁にありました。それに近いような状況が福祉の現場でまた起きるとしたら不幸なことだと思います。僕らは美術の側にいるから、どうしても「アート×福祉」みたいなイメージに依存してしまいますけど、福祉の側にいる人からすれば、普段の生活で触れ合う機会のない、別の職能を持った人たちとの交流でもよいはずなんですよ。その理解を前提に、もっと広がりと具体性のあるプログラムをつくることが重要だと思います。「アート×◯◯」といった掛け合わせの図式だけを描いて充足するのではなく、まさに「◯◯」に入るもの自体を学び、実践し、その結果として作品的なもの・批評的なものが立ち上がってくる、というのが僕個人の理想です。
もうひとつ、福祉とアーティストとの関わりという話で言うと、すでに福祉の現場で働くアーティストってかなり多いですよね。じつはかれらはすでにそこに入っていて、何かを得ていたりすると思うんですよ。これは演劇の話ですけど、菅原直樹さんという方が高齢者介護施設で出会った高齢者と一緒に演劇をつくる「OiBokkeShi(オイ・ボッケ・シ)」という活動を主宰していますが、それもやっぱり介護を通した経験と、それまで培ってきた演劇の経験に相似性を見出してプロジェクト化していった例です。キュレーターや文化機関が外部からいろいろなプログラムをつくる以前に、アーティストたちにはすでにそういう出会い方をしているということも、留意すべき点です。
杉原 さっき僕が挙げたアーティストの磯崎さんも、たしか認知症の人のための老人ホームで働いていて、そこで「今生(こんじょう)」という言葉を意識したと、ステートメントに書かれていました。おっしゃるように、ほかにも介護や福祉の現場で働いたり、交流されている作家さんは多いですよね。
言い方が難しいですが、展覧会にするとか、作品にするとか以前に、自分と異なる身体の感覚や世界のとらえ方を持っている人との出会いは、それ自体に自分の世界が揺さぶられるような驚きの感覚もあるのではないかと思います。それは言ってしまえば、人がアーティストとの出会いに期待するものとも共通する部分があるのかもしれません。
島貫 僕らは展覧会という事象をひとつの区切りとして見て記事化することを仕事にしていますから、その瞬間的な出力の在り方の素晴らしさ・スマートさみたいなもので拙速に評価を下してしまいがちですけど、大事なのはその点の前後に流れている時間なんですよね。障害者施設でのアーティストと入居者の関わりといった営みは、その前後の時間に属している。そういう時間に支えられて、よい作品や作家が結実して可視化されるという前提を僕らは必ず頭に入れておくべきです。素朴な考えですけど、アートと社会の在り方の関係っていうのはおそらくそこにしかないんだろうと思います。
*「後編」に続きます。
原久子
はら・ひさこ アートプロデューサー、ライター、大阪電気通信大学教授。京都生まれ、大阪在住。主な共同企画に「六本木クロッシング2004」(森美術館、2004)、「Between Site and Space」(トーキョーワンダーサイト渋谷、2008+ARTSPACE Sydney、2009) 、「あいちトリエンナーレ2010」(愛知県美術館ほか、2010)ほか。共編著に『変貌する美術館』(昭和堂)など。
白坂由里
しらさか・ゆり アートライター。神奈川県生まれ、千葉県在住。『ぴあ』編集部を経て、1997年に独立。美術を体験する鑑賞者の変化に関心があり、美術館の教育普及、芸術祭や地域のアートプロジェクトなどを取材・執筆。『美術手帖』『SPUR』、ウェブマガジン『コロカル』『こここ 』などに寄稿。
杉原環樹
すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ、在住。美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行う。『美術手帖』「artscape」などに寄稿。関わった書籍に、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。
島貫泰介
しまぬき・たいすけ 美術ライター、編集者。1980年神奈川県生まれ、京都、別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』を開始。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)